徳の高低

昔は、当たり前みたいな道徳説教たれるのがウヨで、それに反発して相対化するのがサヨだったわけだが、それが逆立ちしてしまった図が面白いし、ぶざまとも言える。

http://www.janjan.jp/media/0502/0502133557/1.php

ケンウェルバーというのがどういう人なの私は知りませんが、道徳に発展段階がある、と考える時点ですでに欧州中心主義的な啓蒙を前提としているのは見え見えなので、幅広い層から反発をくらうのは当然でしょう。が、まあこれ、この記事で読む限り、どうやら爺の説教みたいな物で、「君たち自分に都合のよい理屈ばかり並べ立てないで、少しは相手の立場から物を見てご覧なさい」というような極めて常識的なことしか言ってないみたいです。

多くの人が言うように、確かに、道徳(道徳律、規則)なんて相対的なものだ、といってしまえばそれはそのとうりですが、それでも個人及び国家の倫理的な高潔さ(道徳律に対する姿勢)というのは重要な社会要素であり、しいては国際政治の交渉の場においてもどのような倫理的立場からおのおのの国益を語るのかいうのは極めて重要です。

たとえば、昨今のウヨ言説、ここで必ず思考が停止する典型に「拉致問題日帝植民地問題」を北朝鮮側がつなげて語ることは欺瞞である、というのがあります。明らかに継続性のある国家に起こった2つの事件をつなげて語ることが何故そんなに欺瞞なのかよくわかりませんが、この二つの問題をつなげて語ると都合が悪い、明らかに損である、だからどうしてもつなげて語りたくない、という日本人の心情は、まあ、わかります。でも当然、北朝鮮側にしてみれば、この二つの問題を同列に並べ数量化したくなるわけで、これも、私には、わかります。

と、このレベルでは、日本も北朝鮮も双方自分の都合のよい主張をしているだけということです。どちらも得は高くありません。さて、問題はこのままだと話は平行線なので、解決策として、第三者を仲介に立てなければ、成らないということです。仲介者になり得る国というのは、中国、韓国、ロシア、あまり乗り気でないアメリカとありますが、この4国に“「拉致問題日帝植民地問題」をつなげて語るのは欺瞞”、という主張は果たして通用するでしょうか? まず、韓国中国にとっては、もちろん、欺瞞だという方が欺瞞なくらいで、まず無理でしょう。アメリカはまだ北朝鮮悪の枢軸に入れてるようですが、英語圏に於ける一般的なこの件に関する見解としては、「健忘症にかかった旧帝国・現在落ち目の経済大国」と「追い込まれた最後の独裁共産小国」間の問題で、どっちもどっちぐらいに写っているのではないでしょうか。

徳の低い私としては、ここは一つ、倫理的に高潔であった方が、長期的には得かもしれませんよと、申し上げたい。