曖昧なコスモポリタン

何かと曖昧だと言われる日本人であるが、曖昧ではないものが一つある。
それは自分たちが、日本人で以外であり得ないという、確信である。
境界は太い線でしっかりと敷かれ、本質は永遠に内側にある。
外側は常に外側であり、内側は常に内側と認識される。
我々は内側の存在であり、他所は外に存在する。

ところが
コスモポリタン的現実の輪は捻れている。
内側が外側になり、
また内側になったりする。